UFO遭遇から2週間、ベティは夜な夜な悪夢に悩まされるようになっていた。それはほとんど毎夜のように起こり、しかも一日中そのことで頭の中が一杯になるほど生々しい夢であった。
9月26日に、ベティはキーホーに手紙を書いた。彼女は、人型の物影や発信音のことなど、空軍には話さなかった内容も含むすべての事情をそこで打ち明けた。ベティは、自分とバーニーはUFO遭遇に関する一見不完全な記憶にひどく悩まされており、催眠療法によって何が起きたのかを想い出すことができるのではないかと考えていると書いた。彼女の手紙はやがてボストンの天文学者でNICAPのメンバーでもあるウォルター・N・ウェッブの手に渡った。
ウェッブによるインタビュー
ウェッブは、1961年10月21日にヒル夫妻と面会した。6時間にわたるインタビューで、ヒル夫妻はUFOとの遭遇について憶えているかぎりのことを語った。バーニーは、自分はUFO遭遇事件に関してある種の「心理的障害」を負っており、この一連の出来事の中に若干の「思い出したくない」部分があるのではないかと考えていると主張した。
UFO搭乗者を見たという報告に関して、NICAPの一般的な方針は懐疑論的である。それに基づいてウェッブは、得体の知れない飛行物体を間近に見たことによるヒル夫妻のパニック症状がベティの悪夢の原因ではないか、そしてさらに、夫妻は実際には一人の搭乗者も見ていないかったのではないかと推測した。そのため当初は、夫妻の主張する不完全で断片的な記憶に関してはほとんど重要視されることがなかった。
ベティの夢
1961年11月、ベティは繰り返される鮮明な悪夢の詳細を記録しはじめた。
夢の中のベティは、意識を回復するのに苦労しており、やがて自分が2人の「小さな男」によって夜の森を歩くよう命令されていることを理解した。また彼女の横にはバーニーがいて、彼女をエスコートしているようであったが、彼に呼びかけても返事はなく、まるで夢遊病か催眠状態にあるようだった。「小さな男」たちは身長およそ5フィートで、身体にぴったり合ったユニフォームを着て、アメリカ空軍で使われているようなキャップをかぶっていた。また髪の毛は短く、大きなふくらんだ鼻をしていた。
飛行物体への搭乗
夢の中で、ベティ、バーニー、そして「小さな男」たちは、円盤型をした金属製の乗り物の傾斜路を上ってその中に入った。搭乗してすぐにベティとバーニーは別々にされた。ベティは2人を一緒にしておいてほしいと懇願したが、彼女が後に「リーダー」と名づけた小さな男の1人は、夫妻が同時に検査を受けるともっと長い時間がかかると話した。それからベティとバーニーは別々の部屋に連れて行かれた。「リーダー」を含め他の「小さな男」たちは彼女に英語で話しかけたが、彼らが英語を操る能力は不完全なものであるらしく、意思の疎通に苦労していた。ベティの夢は、他の者とよく似た新しい男が、リーダーと一緒に彼女の検査を行なう場面へと続く。ベティはこの新しい男を「ドクター」と呼び、彼は礼儀正しく、好感が持てると感じた。
簡単な診断と検査
「ドクター」はベティに対して、地球人と“彼ら”の相違点を調べるために、簡単な診断といくつかの検査を行なうと告げた。ベティはイスに座らされ、明るいライトに照らされた。男はベティの髪を一房切り取った。彼はベティの口、目、手を調べ、爪の一部を切り取った。また彼女の足を調べ、ペーパーナイフのような鈍い刃物で皮膚のサンプルをとり、ガラスのスライドにのせた。
「ドクター」はベティにテーブルの上に横たわるように命じた。彼は神経系を調べると言って、うつ伏せになった彼女の体に脳波計のような装置をあてて滑らせた。彼はベティの衣服を取り去り、4から6インチほど長さの針状の器具を用いて妊娠検査を行なった。彼はその針を彼女のへそに突き刺し、彼女は激痛をおぼえたが、「ドクター」が彼女の目の前で手を振ると痛みが消えた。
バーニーの入れ歯
検査が終了したことや、彼女とバーニーはまもなく自動車に戻されるであろうことをベティは告げられた。彼女は「リーダー」と話しはじめたが、他の「男」が部屋に駆け込んできて、どことなく興奮した様子で「リーダー」と奇妙な言語で会話を交わすため、その対話は何度も中断された。彼らはあわただしく部屋を出て、ベティはひとり取り残された。
彼らは数分で戻り、「リーダー」はベティの口を検査して彼女の歯を抜こうとしているように思えた。うまくいかなかったため「リーダー」は、なぜバーニーの歯は取り外せるのに、彼女のは固定されているのかと尋ねた。ベティは笑いながら、人は老いるにつれて歯を失うため、バーニーは入れ歯をしているのだと説明した。「リーダー」は加齢という概念を理解できないようであった。彼女は年とは何かを説明しようと努力したが、やはり彼が理解できた様子はなかっ人工物をねだるベティ
夢の中でベティは、この遭遇が現実であったことを証明するために、宇宙船から何か人工物を貰ってもよいかと「リーダー」に尋ねた。「リーダー」は、たくさんの記号やシンボルのようなものが書かれた大きな本を彼女が持って行くことを許可した。
次に彼女は、彼らとこの船はどこから来たのかを「リーダー」に尋ねた。これに答えて、「リーダー」は壁からたくさんの星や惑星が記された「地図を引き出したけれども、私には見たこともないようなものだった。……それは天界の地図だった」とベティは書いている (Clark, 281) 。そこには何種類かの線が引かれていたが、彼女が教えられたところによれば、それらの線は星間貿易や探検の経路を示すものであった。「リーダー」は、地球がこの星図のどこにあるか分かるかとベティに尋ねた。見たことのない図であったため、ベティは分かりませんと答えた。「リーダー」は、ベティが理解できない以上、自分たちがどこから来たか説明することは不可能だと言った。
飛行物体を下りる
ベティは、地球人が宇宙の他の住民に会いたがっていることを伝え、彼らの存在を地球人に明かすよう「リーダー」を説得しようとした。彼女がそう嘆願していると、「小さな男」の1人がバーニーを部屋へ連れて来た。バーニーは茫然自失の様子だった。
「小さな男」たちはヒル夫妻を宇宙船から連れ出しはじめたが、このとき男たちあいだで、彼らが以前から話していた奇妙な言葉による議論が湧き起こった。「リーダー」はベティから大きな本を取りあげた。彼女は、この本は彼らとの遭遇の唯一の証拠だと言って抵抗した。「リーダー」は、自分個人としてはベティがこの本を保管していてもかまわないのだが、他の男たちはベティにこの遭遇そのものを記憶してもらいたくないのだと言った。ベティは、彼らに記憶をどう操作されようと、自分はいつかこの事件を思い出すだろうと主張した。
彼女とバーニーは車まで連れて行かれ、そこで船の出発を2人で見守るよう「リーダー」から示唆された。夫妻は宇宙船が飛び去るのを見送り、それからドライブを再開した。ベティは奇跡的で手に汗握る出来事だったと述べたが、しかしバーニーは何も言わなかった。
ベティの夢の結末
ベティの夢は、彼女が「これであなたも空飛ぶ円盤を信じるでしょ?」と言い、バーニーが苛立ちながら「馬鹿なことを言うな」と応える場面で終わる。
ベティはこの夢が実際にあったことを反映したものに違いないと考えたが、バーニーはより懐疑的で、妻はただ単に並外れて鮮明な夢を何度も見ただけだと考えた。
ウリヤ きくすい ルーン はに丸 フィッシン サディ ビアガー ジャック コスプリ ワニス 深海 トリオ パンパン ボート レーター しじゅう オフロード シーン ドラム ナミビア やちょ アカペラ セミプロ レガッタ ロヤジル トルソ フフホト ケモカイン リンリン メシマ ニュー ビュス プロテクト テーブル シャレー コリオン 四季の綱 トメント フォロー オマージュ ゲート パセリ フォーク ナーダム おきな シート しょうわ サック ティペット ジョンツ
医学的療法とさらなるインタビュー
失われた時間
1961年11月25日、ヒル夫妻はNICAPのメンバー、C・D・ジャクソンとロバート・E・ホーマンにより2度目のインタビューを受けた。
ウェッブによる最初の報告を読み、ジャクソンとホーマンはヒル夫妻の証言に多くの疑問点を抱いていた。その中でも大きな疑問は彼らがドライブしていた時間の長さであった。ヒル夫妻もウェッブもその点についてまったく注意を払っていなかったが、ドライブは4時間ほどあれば充分であるのに対し、彼らが出発してから帰宅するまでには7時間が費やされていたのである。ホーマンとジャクソンがこの矛盾を指摘したときには夫妻も愕然とし、原因を説明することができなかった(こうした「失われた時間」は、UFO遭遇事件においてしばしば報告される)。しかしベティは月が地上で輝いていた光景を後に思い出した。
「あらゆる努力を払ってみたものの、ヒル夫妻はインディアン・ヘッドからアッシュランドに至るまでの35マイルの道中について、ほとんど何も思い出すことができなかった。催眠療法の話がもちあがった。催眠療法ならば失われた記憶を開放することができると期待してのことである。バーニーは気が進まなかったが、彼に言わせれば「馬鹿げた」ベティの夢が繰り返されるのを止めることができるかもしれないと考えた」とクラークは書いている (Clark, 282) 。
1962年2月までに、ヒル夫妻は何度も週末にドライブに出て彼らがUFOと遭遇した場所を確認しようとした。その場所を見つければより多くの記憶が掘り起こされるかもしれないと期待したためである。しかし、その後数年間にわたって努力したものの、問題の場所を見つけることはできなかった。
クラークが書いているように、「(1962年の)2月または3月、バーニーの鼠径部の周囲にほぼ真円を描いていぼが現れた。それらは外科手術によって除去された」 (Clark, 282) 。
精神医学療法の開始
1962年3月に、ヒル夫妻はマサチューセッツ州ジョージタウンの精神科医パトリック・J・クワーク医師を訪ねて診察を受けた。クワークは、ヒル夫妻が感応精神病(Folie a deux 、強い妄想に取り付かれた人間と長時間一緒にいる別の人間が同じ妄想を抱くようになること)に罹っているわけではないと考え、失われた記憶は自然に思い出した方がよいといって、逆行催眠療法に対する夫妻の期待には応えなかった。
1962年の夏、バーニーは深刻な不安や苦悩を取り除いてもらうために、ニューハンプシャー州エクセターの精神科医ダンカン・スティーヴンスのもとで定期的な催眠治療を受けはじめた。バーニーとスティーヴンスは多くの話題について語り合い、その中には彼が経験したUFOとの遭遇も含まれていた。クワークと同じようにスティーヴンスもまた、バーニーとベティが共有する幻覚はとても現実にはありそうにもないことだと感じていた。
最初の公表
1963年3月3日、ヒル夫妻は彼らの所属する教会で、自分たちのUFO遭遇について最初の公的な討論を行なった。同年11月、ヒル夫妻はマサチューセッツ州クインシー・センターでアマチュアUFO研究家たちを前にして公演を行なった。この会議に出席していたアメリカ空軍のベン・スウェット大尉は、特にヒル夫妻が報告した「失われた時間」について興味を持っていた。ヒル夫妻がスウェット大尉に催眠療法を試したいという希望を伝えたところ、アマチュア催眠術師でもあったスウェットはそれが有効であるかもしれないと考えた。
夫妻が次にスティーヴンス博士に会ったとき、バーニーは催眠療法について訊いた。スティーヴンスはヒル夫妻にボストンの精神分析医ベンジャミン・サイモン博士を紹介した。ヒル夫妻は1963年12月14日に初めてサイモン医師の元へ訪れた。
対話を始めてすぐに、サイモン医師はUFOとの遭遇がバーニーの打ち明けたがっている不安や苦悩を彼にもたらしたのだと断定した。サイモン医師自身は地球外生命体に関する仮説を現実にはありえないものとして退けていたが、ヒル夫妻がUFOと人型の搭乗者を目撃したと本気で信じ込んでいることは明らかであるように思われた。サイモン医師は逆行催眠によって、夫妻が何を経験したのかについてより多くのことが発見できるのではないかと期待した。